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決断

 すでに家族や周りの人に宣言して背水の陣を敷いていたが、昨日ついにバイト先の副工場長に来年の3月で仕事を辞めたいという事を伝えてきた。

 以前からアルバイトをしながらの作陶生活ではどうしても制限される事が多く、一定の収入がある事でそこに寄りかかってしまう部分が出てくると感じていた。
 先月の個展を開催するまでの過程で「もっと必死になってやらなければ」という思いが強くなってきて、昔から追いつめられないとやれない性格の自分が今より一生懸命にやるには環境を変えなければと思った。
 バイトを辞めれば経済面で立ち行かなくなるかもしれないが、やれるところまでやってみてダメならまた考えようと決意が固まってきたのだ。

 以前の記事にも書いたが、バイト先の副工場長であるKさんには本当にお世話になっている。
 当初、派遣会社から週5日の夜勤で入った僕だったが、それでは陶芸の方がおぼつかないのでわがままを言って週3日にしてもらった。
 しかし、週3日だと派遣会社で決められている月100時間の規定にギリギリで、月によっては用事で1日休むと別の日に2日出なければならないなんて事もあって、それなら直接雇用にしてやるという事で直接雇ってもらった。

 僕が陶芸をやりながら働いている事をすごく理解してくれて、出展の時に取らなければならない休みも自由に取らせてもらったし、個展の案内を渡すと拡大コピーして会社の掲示板に張ってくれたり、奥さんと一緒に実際に会場に足を運んでくれたりもした。
 それだけお世話になっているだけに、辞めるという事を言い出すのはとても難しかった。

 昨日は自治会の集まりがあって、その後会社に年末調整の書類を届けに行ったのだがそれがちょうど終業時間近くで、この機会を逃したらズルズルと言わずにいってしまうと思って、Kさんに時間を取ってもらって話した。
 自分勝手なお願いに怒られる事も覚悟していたが、Kさんは快く聞いてくれて励まして下さった。

 その後、夕食に誘ってもらって同じ会社に勤める奥さんと3人で食事に行きごちそうになった。
 たまたま派遣された会社でこういう縁に巡り合えてほんとうによかったと思えた1日であった。

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テーマ : こんなお話
ジャンル : ブログ

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頑張ってください

大変でしょうが頑張ってください。私の先生も若い頃(30代になったばっかりでした)は飲まず食わずという生活でした。窯焚きの手伝いにいくと、夕飯のおかずにする野草をとりに裏山に上りました。「山の中は食い物だらけさ」が口癖で、「50代になって名前が出れば御の字」と言っていました。いまでこそ名前が通るようになりましたが、その生き方には感心します。
私が学生を辞めて陶芸家になると言ったら、「生活を切り詰めても、時には出来の悪い作品も売らなくてはならない、こんな辛いことはないから、君は趣味程度でやれ」と言われて陶芸家の道はあきらめました。私の才能を見切ってのアドバイスだったとおもっています。
趣味としていつか再開しようと思いながら、今になってしまって先生には申し訳なく思っています。

ありがとうございます

 励ましありがとうございます。
 モノ作りで生きていくには作品を売っていかなければならないですよね。
 僕は陶芸をやろうと決めた時から陶芸を職業にしたいという思いが強いので、そうできるようにやっていきたいと思っています。

 陶芸の道は先が長いですが、だからといって一年一年の密度が薄くなってしまってはいけないなと最近考えています。
 その事には意識的であり続けたいと思います。

プロフィール

atiron

Author:atiron
名前:乗田 忠明
生年:1977年
出身:京都市左京区

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